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今日、The New York Timesの健康に関する記事を何となく読んでいたら興味深いものを見つけたので訳してご紹介します。英語のタイトルは”Not on the Doctor’s Checklist, but Touch Matters”です。オンラインで8月2日に出ていたので3日には出版される記事です。カイロプラクティックとは直接関係ありませんが、ある医師の経験に基づいた記事です。

 

中年の健康な女性が私のオフィスに来た。アシスタントが彼女の血圧は正常だと既に記していた。私は3分の2以上の時間を彼女と話をする時間にあてた。

 

彼女の病歴や家族の病歴を聞き、職業や喫煙の有無、どれくらい運動するのか、毎日野菜や果物を十分に摂っているか、などの生活習慣についても聞いた。健康診断についても触れ、乳がん検診、子宮検査や予防接種を受けているかも確かめた。残りの時間はカルシウムや日焼け止めやシートベルトなどのことも話した。鬱の傾向が無いか、家庭内暴力の可能性までも尋ねてみた。最後にインフルエンザの予防接種と大腸の検診を忘れないようにと確認し、健康的な食事と運動についてのパンフレットを渡し、どうやったらもう少し運動する時間を作る事が出来るかのアドバイスをした。

 

我ながら良い出来だと自分を褒めた。私は聞くべき事をちゃんと聞いたし、健康な女性に必要な病気の予防法もちゃんと紹介できた。そして、ちゃんと時間通りにやるべき事を終え、次の患者さんを待たせる必要もない。

 

しかし彼女は、これで終わり?というような不思議そうな顔をしている。

 

事実、血圧検査を含めて、科学的根拠に基づく医学の判断では、私は健康な人に対しての適切な処置をしたのだ。しかし、彼女は全く満足していない様子だった。医者に看てもらうといのは、聴診器を胸に当てて心音を聞いたり、手でお腹を触診することなのだ。患者さんは身体検査を望む傾向にあるというリサーチもある。

 

しかし、健康だと分かっている人に身体検査をする事が有効であるというリサーチがあるのだろうか?

 

長い歴史と伝統であるにも関わらず、身体検査は症状の無い人から病気の可能性を見つけるというよりはただの習慣になっている。問診で何も怪しいところが無いのに、お決まりのように健康な人の肺の音を聞いたり、健康な人の肝臓の触診をしてみたりすることが病気を見つけるために不可欠だと結論づける証拠は乏しい。

 

健康な人にとって健康診断で見つかった異常はほとんどの場合誤診である。さらには、健康診断では潜んでいる病気我確かにあると確実に判断できないのである。

 

それでは、健康診断の目的は何なのか?医者と患者の関係は会計士と患者との関係とは基本的に違うものだ。MRIやPETスキャンなどは証拠に基づいた医学の道具としては特別なものだが、触れる事の方がより大切なのだ。知識や頭の良さというものを超えた暖かいつながりが医者と患者の間にはあるのだ。

 

あまり時間は無かったが、彼女を診察台へ案内した。彼女の方に手をのせ、肋骨の上に聴診器を当てた。空気の通る音を聞きながら、私は99.9%正常だと確信し、私の体と彼女の体がリラックスするのを感じた。

 

深刻な病気を示唆するような異常な音が聞こえることはまず無いだろうと知ってはいたが、彼女の心臓に聴診器を当て、心地よい心音を聞いた。会話をしながら彼女の腹部を検査しているときも、より彼女と心が近づいたように感じた。

 

丁寧だけどビジネスライクな最初の会話はもうどこかへ消えた。どういう訳で何を考えてこの部屋に来たのかは関係なく、私たちには信頼関係ができた。最初の会話では少しぎくしゃくしていたものの、今は肌と肌が触れ合っても嫌な思いをしないほどに距離が近づいたのである。

 

たぶんこれが一番重要なことなのだろう。触れる事はとても人間的で、ビジネスという意味を超えて、医者と患者の信頼関係を作る。新生児との関係作りについても証明されているように、医療従事者と患者さんとの間に信頼関係を築く最も基礎的な方法は触れる事なのである。

 

病院の受付が自分たちや看護士を“医療従事者”と呼ぶ度に嫌気がさす。そうやって呼ばれるとまるでバーガーキングに置いてあるドリンクサーバーみたいだ。私は“供給する人”ではない。私は人であり、医師だ。患者さんは“顧客”でもなく“依頼人”でもない。私たちはビジネスをしているのではない。

 

だから身体検査をしないと診察が終わったような気がしないのだろう。それは 医師と患者の関係にとって過小評価することの出来ない重要な部分なのである。そこには科学的な根拠は必要ない。

 

参考文献
“Not on the Doctor’s Checklist, but Touch Matters”
By DANIELLE OFRI, M.D. Published: August 2, 2010
A version of this article appeared in print on August 3, 2010, on page D5 of the New York edition.
Translated by Takanobu Nakaseko

過去の関連項目

触れるということ

http://www.drnakaseko.com/cal/?p=181

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